以前、凄腕のフローリストから花束をいただいたことがあります。

束ね方も、処理も美しい
それから何年も経ったある日、その花を贈ってくれたフローリストが夢に現れました。
どうして今なのだろう──そう思い、しばらく考えていました。
その花束は、とてもよく考えられたものでした。
ドイツで修業していた頃、同僚がよく言っていました。
「フローリストに贈る花束ほど難しいものはない。」
花束というのは、単に花を束ねる技術ではありません。
「相手は誰か。」
「何を伝えたいのか。」
「どんな時間を贈りたいのか。」
そこまで考え、一つの作品として組み立てられていきます。
私がその花束から受け取ったのは、技術だけではありませんでした。
その人がどんな手で花に触れてきたのか。
どんな時間を積み重ねてきたのか。
その人の思考でした。
私は自然や造形物に美しさを感じます。
けれど本当に惹かれるのは、美しさが生まれるまでの姿勢なのだと思います。
今年亡くなった恩師は、こう話していました。
「作る過程を知らずに、ただ模倣したものは美しくない。」
この言葉は、年を重ねるほど深く心に響きます。
作品が自分の好みと少し違っていても、その人の花への向き合い方に敬意を抱くことがあります。
このことを考えていて、ふと別の出来事も思い出しました。
食事会で「ピアノを弾ける」と話し、バッハを弾いてくれた友人がいました。
技術の巧拙ではありません。
けれど、なぜか私の心は落ち着きませんでした。
今思えば、演奏そのものではなく、その人の音楽への向き合い方に共感できなかったのだと思います。
夢に現れたフローリストには、
「この人とは花に対する誠実さを共有できる。」
そんな安心感を、私は感じていたのかもしれません。
自分が大切にしているものを、同じように大切にしている人。
そこには、人としての信頼が生まれます。
だから安心して心を開くことができる。
夢は、そのことを静かに教えてくれたような気がしています。
皆さまにも、そんな存在はいらっしゃいますか。
